歴史、教義と習慣、そのあらまし
まず最初に、ジェネラルチャーチ・オヴ・ニューエルサレムは、いわゆる「ニューチャーチ」自体ではないことを申し上げておきます。「ニューチャーチ」とは、霊的な集まりであり、それは主の新教会の教えを受け入れ、その教えに従って生きる者すべてによって成ります。誰がそこにいるかは、主のみがご存知です。ジェネラルチャ-チは人の組織です。主を礼拝し、その〈みことば〉を教え、人が教えに従って生きることを支えることで、「ニューチャーチ」に仕えようとするのが、ジェネラルチャーチです。心と〈いのち〉の底から主に従い、地上の真のニューチャーチの部分となれるよう、私たちのそれぞれが望んでいます。
主イエス・キリストを天地の唯一の神として崇めます。父・子・聖霊の三一性が主イエス・キリストの内にあります。「父」とは主の愛であり、「子」とは主の真理であり、「聖霊」とは人を救い、天にあげようとして主から発している愛と真理です。主は地上におこしになりましたが、そのとき何を行われ、主はどなたであり、私たちに何を望まれているかが著作の中で語られています。そのため私たちは、心の眼で主を見たもうことができます。
私たちはこの方を「主」とお呼びします。他の名もいろいろ使うときもありますが、ここでとりあげる必要はありません。
著作と新旧約の聖書は、神のみことばであると信じています。そのそれぞれは、その著者である人間を通して与えられました。主がその人間を導き、書き記させました。旧約聖書の著者たちは、天使たちが天から語ったことを、そのまま書き記しました。新約聖書の著者たちは、ある程度自身の判断を入れはしましたが、なお主の導きのままでした。スウェーデンボリは、ある高い精神レベルに至るよう導かれました。彼は自分の著作のため、計画を練り、懸命に自分で取り組みました。しかし彼が「主からきているものが書き記されています。天使からきているものは、記されてされていません」(『黙示録解説』1183)と言っているように、著作には主の導きがありました。
私たちは著作から好き勝手に取捨選択をしているわけではありません。それを主の御業を信じ、ある時には理解できないものであっても、それはなお真であるとしています。
単に教会に属することや、教会の教えることを信じることでは、天界にたどり着けません。誰しも同じ道を通ります。それは仁愛の生活です。地上では主の母であったマリア、弟子たち、モーセ、スウェーデンボリ、皆同じ道を歩みました。
仁愛の生活の第一は、悪を主への罪として避けることです。なぜなら、そうしなければ、私たちは利己的に行動してしまうからです。人は、すべてを自分のために利用します。しかし悪を罪として避ければ、主は善行へと導かれ、その善行に真の愛を吹き込まれます。
新教会では、自由に関して、とても特殊な教えをしています。著作は、自由にも様々な種類があることを述べています。好きなところに住む自由、特定の政党に投票する自由、言論の自由等です。しかしこれら全てに勝る自由があります。主がすべての人の内で、この自由を守られています。それは、自分の信じようとするものを信じ、愛そうとするものを愛する自由です。すなわち霊的な事に関する選択の自由です。これなしでは、人は決して幸福にはなれません。
主は、人に真理を理解する力をお与えになりました。そして、善いものを愛する力をお与えになりました。しかし主は、これらの力を、あたかも自分のもののように感じることをお許しになっています。そのため、人は主の愛を選択することも、拒むことも自由にできます。それを選択すれば、選択することで喜びをみいだします。すなわちそれが天界の喜びなのです。
そのため、信仰もまた自由であらねばなりません。私たちは、人々が自ら真理を理解する必要があることを大事にします。信仰を受け入れるよう無理強いしてはなりません。そのため、ジェネラルチャーチでは20歳になるまで会員となることはできません。20歳になったものは自分で選択を行い、両親や他からよけいな働きかけを感じないようにと、望んでいます。
ジェネラルチャーチは成文の律法をもちません。みことば自体、なかでも著作が私たちの律法であり、それは合理的な心に語りかけてくれます。多くの教会では、信条を書き出し、それを受け入れるようにさせます。ジェネラルチャーチでは成文の律法をもたず、教義の正式なステートメントもありません。人々がみことば自体に接し、みことばから何が真であるかを決めてほしいと望んでいます。
「ジェネラルチャーチの規律と組織」というステートメントがあります。しかしその最初に、これは今の時点における習慣の表明にしかすぎない、と述べています。
私たちは未来を縛るような規則は作りません。それぞれの世代の教会が、その時のみことばの理解に応じて、主に導かれるようにしています。
私たちは教義をかかげて人を縛りません。しかし、ジェネラルチャーチも、現在においての見方や、そして主張として、ある一般的な原則をもつ必要があります。次に示すのは、その原則を短くあらわした項目です。
その他にもあります。これらの一般原則は私たちの組織体制の部分を構成しています。何年かのうちに、これと違った解釈をするようになるかもしれませんが、今現在では著作に明らかに教えられているとみています。私たちは、個人的にこれらの教えに納得がいかなくても、議論や論争を引き起こして教会を混乱させてはならないと戒めています。